ご挨拶

杏林の会の前身「杏林会」が始まったのは1988年(昭和63年)3月熱海の“さくらや”での開催でした。杏林堂現スタッフと晴通先生の弟子関係がメンバーとしての構成です。以来毎年晴通先生の誕生日近くに合わせて温泉地での開催と、秋に勉強会をかねての開催と、晴通先生の亡くなる前年の1998年まで、16回開催されました。

晴通先生の何事にも前向きな姿勢はこの「杏林会」にも表われていました。1991年に口腔がんの手術をされた年の秋に叙勲を受け、その祝賀会の後にも「杏林会」を開き、咀嚼や嚥下が困難なのにもかかわらず、弟子達のための「杏林会」をずっと続けられました。

晴通先生がお亡くなりになって後、しのぶ会開催の後、「杏林会」を解散して、新たに「杏林の会」として弟子仲間での動向の連絡を続けていくことになった次第です。

晴通先生の前向きな姿勢は、私が赤坂の杏林堂に在院していた時にも随所にかいま見られました。例えば、眼疾患に対して上眼瞼部に刺鍼する際にはごく細い毛鍼を用いていたのですが、晴通先生が中国視察から戻ると、すぐに中国鍼を用いるようになりました。こんなところにも、良いと思ったら迷うことなく進めていくという前向きな姿勢がうかがえられました。

晴通先生の経絡治療における本治法は片側治療が基本でした。必ずお線香で(これが絶対断面の四角い「松竹梅」の線香でした)左右の足の井穴の知熱感度を測り、右か左かを決める目安にしていました。晴通先生のことについてのお話はいろいろありますが、古いお弟子さん達は次第にお亡くなりになり、年月とともに晴通先生のことを知っている人がいなくなっていくのは寂しいことでございます。

世の習わし、「行く川の流れは絶えずして・・・久しくとどまるところなし」というわけですので致し方のないことです。金井先生によって少しでも晴通先生の記憶が残されることを願ってやみません。

杏林の会 会長  鍼専門治療院杏林堂 土屋二郎

杏林会開催変遷杏林会開催変遷

西暦 年号 日付 場所
1988 昭和63年 3月20~21日 熱海  さくらや熱海
1989 平成1年 2017/03/04 赤坂  真帆しぶきの店赤坂
1990 2年 2月11~12日 熱海  後楽園ホテル熱海
1991 3年 1月末 手術 国立がんセンター
1991 3年 2017/09/22 東京 椿山荘  叙勲祝賀会東京
1992 4年 4月11~12日 熱海  グランドホテル熱海
1992 4年 2017/11/03 赤坂  杏林堂赤坂
1993 5年 3月6~7日 箱根  南風荘箱根
1993 5年 2017/11/03 上尾  ジュディ宅上尾
1994 6年 3月5~6日 熱海  池田屋熱海
1994 6年 2017/11/03 東京  衛生学園東京
1995 7年 3月5~6日 厚木  七沢温泉厚木
1995 7年 2017/11/03 木更津 杏林堂木更津
1996 8年 3月10~11日 湯河原 大野屋ホテル湯河原
1997 9年 6月7~8日 全日本鍼灸学会  東京ビックサイト
1998 10年 2017/04/11 恵比寿 東天紅(ガーデンプレイスタワー39F)
1999 11年 2017/07/11 小川晴通先生 ご逝去
1999 11年 2017/07/14 小川晴通 先生 告別式
2005 17年 2017/07/03 小川晴通先生をしのぶ会
東京 アルカディア市ヶ谷

小川晴通先生について

小川晴通先生のところにはじめてお伺いしたのは、昭和47年の春でした。鍼灸学校を卒業した年、故田村敏子先生のご紹介により赤坂の杏林堂に出向きお会いしたら、すぐにこの白衣でよいかな。と手渡され入門させていただくことになりました。当時から週休2日制であり他の企業でも取り入れているところは少なかった。

(1990年一番弟子の田村敏子先生と虻川先生、土屋先生 熱海にて)

小川先生は心優しくどなたかに頼まれますとNOとは言えない方だったようです。当時の杏林堂はTBSから近くの赤坂三丁目田町通り木造2階建てで、1階が待合室、2階が治療室、ベットは6台入っており、治療する先生は小川先生と虻川潔先生と黒田譲先生の3人でアシスタントに渡会先生、村田先生、お嬢さんの敦子先生と私の7名でした。

(1988年杏林堂従業員旅行 塩原にて)

4月に最初に治療室で出会った患者さんは映画にもよく出る女優さんで帯状疱疹の治療に見えていました。胸の下だったでしょうか、三稜鍼で刺絡しておりビックリしました。患者さんは痛そうな顔もせず話しながら治療していたのは印象的です。

電話で予約を受け付けるのですが、時には英語やスペイン語で掛かってくることも多くあります。また、TVでよく見かける方、時には外国から飛行機で見える方もおりましたも多くみられました。時々は鍼灸の話題をTVに出演し話しておりました。

患者さんは患者層も財界の著名人から八百屋のおばさんまでバラエティに富んでいた。古くからの方も多く親子3代なんて方もおられ、東京近郊からから1時間くらいかけて見える人もおりました。

(1989年 鈴木康夫先生と真帆しぶきさんと赤坂のお店で)

患者さんの症状は身体の健康管理と内臓障害の方、風邪の方、難病の方、など多くぎっくり腰などは少なかったです。

(1992年杏林会熱海グランドホテルにて)

小川先生の治療は経絡治療を主に行っており、脈診に赤羽氏知熱感度測定法を行い、感度の鈍い方に治療する片側治療が主でした。刺鍼数は多く肝虚でしたら太衝、曲泉、陰包、足五里、陰廉と陰谷に置鍼していました。他の経でも同じく膝や肘より上まで置鍼するのが特徴で二経に渡り治療することが多かったです。

勉強家でもあった小川先生

問診は弟子たちが行っていましたが、先生は便秘してませんか、小便はいかがですか。眠れますか。と聞いており、便秘していたら肝虚が多かったように思います。下痢でしたら脾虚証、小便の回数が多かったら腎虚証、風邪の症状は肺虚証。というような感じです。腹診も併せて行っていたが、それだけで証を立てることはなかったようです。

背部は証にしたが肝虚で有れば腎兪と肝兪に寸六で刺鍼、座って頚部に軽い刺鍼を行う。これが基本でした。また、背部兪穴には皮内鍼をしておりました。昭和の名人は比較的深鍼をしていたのです。

お灸は多壮灸が多く胃の症状に行間、痔に百会、蓄膿症に上星、お腹の冷えで下痢をすると臍の塩灸、安産に三陰交5壮。刺絡は眼の症状に胃経の井穴刺絡、膝に酸吸角、肩のオ血に刺絡、慢性の頭重感に後頭部刺絡を行っていました。

(都市センターホテル世界鍼灸学会にて発表)

先生は勉強家で有り、当時日中友好の船で中国に行かれ、新しい治療法も取り入れており頭針や背部吸角もやったことがあります。眼の眼上に刺鍼していたのもこのころでした。ご自身が、どんな患者さんでも私は治す自信があります。と話されていたのは印象的でした。

(1997年東京ビックサイトでの全日本鍼灸学会の時)

当時、東京都鍼灸師会の会長を務め、経絡治療夏期大学の事務局を務めと忙しかったです。日本経絡学会の開設メンバーも務められ、後に副会長になられました。また、日本鍼灸師会の会長も務められ、平成3年には功績が認められ勲四等旭日小綬章を受賞なされました。

昭和48年には赤坂KTビル5Fに転居しベットが12台あり、新しく勤める先生も多くなり息子さんである小川卓良先生も参加され10数名の大所帯になりました。

中にはアメリカ人の女性も働いており、患者さんも含めて国際的で先輩が後輩の指導に当たり、皆和気あいあいと過ごしたのもこのころです。

(新宿杏林堂)

昭和52年新宿の高層ビル新宿野村ビル5F医療フロアーに開設、ベット6台で従業員も4名。と盛況でした。

その後、赤坂は歓楽街に変わっていき杏林堂の雰囲気も変わってきたため閉院し、新宿のみとなりご子息小川卓良先生が後をお継ぎになり現在に続いております。

小川晴通先生は昭和を代表する鍼灸師でありました。昭和の名人でした。先生の50歳以降の人生は忙しくもあり楽しくもあり素晴らしい人生ではなかったでしょうか。

(椿山荘にて受賞記念式典)

簡単ですが先生との思いでと治療法、遍歴を書しました。

名前・生没

名前 小川晴通(おがわ はるみち)
生没 大正3年~平成11年7月11日没、85歳

略歴・業績

1914年
(大正3年)
兵庫県生まれ
1931年
(昭和6年)
山口県の鍼灸師・平田七枝氏に弟子入り、その後関西鍼灸学院に入学
1940年
(昭和15年)
同学院卒業後、状況、柳谷素霊氏の研究会に参加
1942年
(昭和17年)
鞠町・杉並で鍼灸院を開業
1946年
(昭和21年)
世田谷で治療院を開業
1948年
(昭和23年)
世田谷区鍼灸師会を創立
1955年
(昭和30年)
赤坂で杏林堂を開業
1956年
(昭和31年)
港区鍼灸師会を創立
1967年
(昭和42年)
経絡治療夏期大学教師並びに事務局長に就任
1973年
(昭和48年)
日本経絡学会理事長就任
東京都鍼灸師会会長、日本鍼灸師会副会長就任
東京都あん摩マッサージ指圧はりきゅう柔道整復等地方審議会委員就任
1978年
(昭和53年)
新宿・野村ビルで開業
1983年
(昭和58年)
日本鍼灸師会会長就任
1988年
(昭和63年)
あん摩マッサージ指圧師、はり師、きゅう師等に関する法改正協議会代表に就任
新法推進協議会、財団設立準備委員会代表に就任
1990年
(平成2年)
財団法人東洋療法研修試験財団理事に就任
1991年
(平成3年)
勲四等旭日小綬章を受賞
他、全日本鍼灸学会評議会議員、経絡治療学会副会長に就任
厚生大臣表彰、東京都知事表彰
1999年
(平成11年)
7月11日没、享年85歳

著書

  • 『不思議の世界鍼:はりのすべてがよくわかる』 (エンタプライズ 1985年)
  • 『東洋医学の鍼:ハリのすべてがよくわかる』 (エンタプライズ 1990年)

発表文献など

行日 タイトル 著者 掲載雑誌名 開始ページ 終了ページ
1970年 むち打ち症の鍼治療 小川晴通; OGAWA harumichi 日本鍼灸治療会雑誌 20 2 37 43
1973年 一般講演・膝関節疾患について 小川晴通; OGAWA harumichi 日本鍼灸治療会雑誌 22 2 14 20
1976年 膝関節疾患の鍼灸治療 小川晴通 伝統鍼灸雑誌 4 32
1976年 シンポジウム・頭痛の鍼灸治療について・経絡治療の立場から 小川晴通; OGAWA harumichi 日本鍼灸治療会雑誌 25 3 8 13
1979年 腰痛(証決定の問診による客観化へのアプローチ) 小川晴通 伝統鍼灸雑誌 7 24
1979年 一般講演・腰痛 小川晴通; OGAWA harumichi 日本鍼灸治療会雑誌 27 2 216 227
1990年 21世紀に向かって鍼灸師は何をなすべきか 小川晴通 伝統鍼灸雑誌 17 1
2000年 小川晴通先生の死を悼んで 小川卓良 伝統鍼灸雑誌 41 46
2000年 小川晴通先生追悼座談会 岡部素明; 他; OKABE somei 伝統鍼灸雑誌 41 46
2000年 小川晴通先生の死を悼んで 工藤友絡 伝統鍼灸雑誌 41 41
2000年 小川晴通先生の死を悼んで 森秀太郎 伝統鍼灸雑誌 41 43
2000年 小川晴通先生の死を悼んで 岡田明祐 伝統鍼灸雑誌 41 37
2000年 小川晴通先生の死を悼んで 馬場白光 伝統鍼灸雑誌 41 39
行日 1970年
タイトル むち打ち症の鍼治療
著者 小川晴通; OGAWA harumichi
掲載雑誌名 日本鍼灸治療会雑誌
20
2
開始ページ 37
開始ページ 43
行日 1973年
タイトル 一般講演・膝関節疾患について
著者 小川晴通; OGAWA harumichi
掲載雑誌名 日本鍼灸治療会雑誌
22
2
開始ページ 14
開始ページ 20
行日 1976年
タイトル 膝関節疾患の鍼灸治療
著者 小川晴通
掲載雑誌名 伝統鍼灸雑誌
4
開始ページ 32
開始ページ
行日 1976年
タイトル シンポジウム・頭痛の鍼灸治療について・経絡治療の立場から
著者 小川晴通; OGAWA harumichi
掲載雑誌名 日本鍼灸治療会雑誌
25
3
開始ページ 8
開始ページ 13
行日 1979年
タイトル 腰痛(証決定の問診による客観化へのアプローチ)
著者 小川晴通
掲載雑誌名 伝統鍼灸雑誌
7
開始ページ 24
開始ページ
行日 1979年
タイトル 一般講演・腰痛
著者 小川晴通; OGAWA harumichi
掲載雑誌名 日本鍼灸治療会雑誌
27
2
開始ページ 216
開始ページ 227
行日 1990年
タイトル 21世紀に向かって鍼灸師は何をなすべきか
著者 小川晴通
掲載雑誌名 伝統鍼灸雑誌
17
開始ページ 1
開始ページ
行日 2000年
タイトル 小川晴通先生の死を悼んで
著者 小川卓良
掲載雑誌名 伝統鍼灸雑誌
41
開始ページ 46
開始ページ
行日 2000年
タイトル 小川晴通先生追悼座談会
著者 岡部素明; 他; OKABE somei
掲載雑誌名 伝統鍼灸雑誌
41
開始ページ 46
開始ページ
行日 2000年
タイトル 小川晴通先生の死を悼んで
著者 工藤友絡
掲載雑誌名 伝統鍼灸雑誌
41
開始ページ 41
開始ページ
行日 2000年
タイトル 小川晴通先生の死を悼んで
著者 森秀太郎
掲載雑誌名 伝統鍼灸雑誌
41
開始ページ 43
開始ページ
行日 2000年
タイトル 小川晴通先生の死を悼んで
著者 岡田明祐
掲載雑誌名 伝統鍼灸雑誌
41
開始ページ 37
開始ページ
行日 2000年
タイトル 小川晴通先生の死を悼んで
著者 馬場白光
掲載雑誌名 伝統鍼灸雑誌
41
開始ページ 39
開始ページ 1

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